2022.1.12 半年に一度の検査
今日は婦人科の検査でした。
前回とっても痛かったコルポ診…と子宮頚がんの検査。
2021年4月の会社の健康診断で子宮頚がん検査にひっかかりかかりつけのレディースクリニックで再検査、紹介状を頂き国立病院でまた再検査。
軽度異形成ということで半年毎の検査でフォローしています。
2019年の検査は異常なし
2020年の検査も異常なし
2021年の検査で軽度異形成
2022年の検査はどうだろう?
進行しているか留まっているか消えているか
わかりません。
婦人科の検査ってどれを取ってもいつも何であんなに嫌なんだろう。
人によるけど私は今回とても痛かった。
2箇所ぱちぱちと…
しばらく立てなかったけど
看護師さん、先生優しかった。
子宮頚がんの検査に関わらず
受けれる検査は受けれる時に受けてください。
そして特に婦人科は心身共に疲れる検査が多いので男性にはケアする気持ちを忘れないで頂きたい。
また半年後頑張ろう。
結果は2週間後、悪い結果なら電話しますと。
向き合う異常とことん向き合わなければ。
怖いけど。
2022.1.11のスタート
今日2022年1月11日はとてもとても良い日だとSNSで目にしていた。
新しいことを始めるのに良い日。
天赦日(てんしゃにち)」でかつ「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」という吉日が重なる日。
だからというか、ブログを日記を始めたいと思っていた。
そんな2022年1月11日は私の人生で忘れられない1日になった。
(暗くなるお話です)
最愛の家族、おばあちゃんのお葬式だった。
いつもと同じようにデイサービスへ出かけたおばあちゃんが帰らぬ人となった。
いつも通りの朝だったと家族は言う。
いきなりすぎて両親も信じられない様子だった。
おばあちゃんは大正の生まれて100歳近い年齢だった。
でも寝る、起きる、歩く、食べる、着替えると何でも1人でできるスーパーおばあちゃんだった。
まさか急に意識がなくなるとは誰も信じられなかった。
誰の迷惑にもなりたくない。
早く楽になりたい。
こんなに生きて辛い。と話してはいたけど
こんなに生きるには意味があるんよ。と何度も会話をしたのを覚えている。
本当に最後まで誰の世話にもならない亡くなり方だった。
大正時代、沢山の兄弟がいて、貧しかったらしい。
1番下の妹さんと14歳も離れていて
お乳が出ないお母さんの代わりに
お金を集めてお砂糖を買ってお米の研ぎ汁と飲ませてくれた1番優しいお姉さんだったと妹さんは話していた。
沢山たくさん働いて、親の決めた相手と結婚して、働きながら子育て、介護をしておばあちゃんの人生は幸せだったのかなとずっと問いかけていた。
私の両親は夜勤のある仕事だったから私はおばあちゃんに育ててもらったようなもの。
高齢の体におぶってもらい、ご飯を食べさせてもらい、着替えさせてもらい、寝かしつけさせてもらい、してもらったことを私は何一つとおばあちゃんにしなかった。
コロナを言い訳に実家にも帰らず、帰ってもじっくり時間をとって過ごさなかった。
今になっては後悔しかなく、その時々の自分が許せない。
お通夜からお葬式までずっとごめんねと伝えていた。ありがとうも伝えたけどおばあちゃんはどう思ってるんだろう。
この三連休もお正月帰れなかった代わりに帰ろあと思ったけど感染者が増えた地域から帰ることを理由に帰らなかった。
検査なんてすぐにできたのに。
帰っていたらこんなことにならなかったかもしれない。
おばあちゃん、ごめんね
お葬式を終えて思ったのは
おばあちゃんが必死で繋いでくれた命を繋ぎたいということ、
残してくれた家族を今まで以上に大切にしないといけないということ。
これだけは誓わないと。
おばあちゃんが生きた証は
子供たち、孫たち、ひ孫たちがしっかり繋いでいきます。
もう働かなくていいからね。
おじいちゃんとおじちゃんとたくさんのお友達と
食べたいものを食べて
行きたいところへ行って
自分のために、あちらでは過ごしてね。
ありがとう。
また会いに行くからお話ししようね。
ありがとう。
命を繋いでくれてありがとう。